第二回 ハイチ レオガン シグノ結核療養 結核検診終了、そしてさらに未来へ
皆さま、平素より大変お世話になります。代表の大類です。
今回のハイチでの結核検診の結果をご報告させていただきます。
第一回目の検診から9ヶ月が過ぎ、今回第二回目の結核検診は開始されました。
前回の経験からプロジェクトの修正を行い、検診期間を少し短縮した代わりに効率化をはかった今回の検診でも、有症状患者もしくは家族が結核で入院しているなどのハイリスクの患者を中心に157人にレントゲン検査と診察を行いました。
その結果、7人の結核が疑われる患者を発見、さらなる検査もしくは治療に結びつけることができ、(喀痰検査を追加しており、確定診断は後日)また今回、今後のフォローアップ(1ヵ月後再検査)する患者も十数人に上りました。
これも皆さまからのご支援があってこそ実現したことであり、改めまして心より感謝申し上げます。
今回の検診の実現にあたり、なによりも特筆すべきは現地スタッフを中心とした皆の結束力でした。
もちろん検診中にもトラブルは何度かありました。レントゲンの現像機の故障もありました。
しかし皆が迅速に事態に対応し、その結果最後まで検診を続けることができましたわけで、これは私にとってはとんでもなく大きな出来事でした。
というのは、今回は2回目の検診とはいえ、現地のスタッフたちが絶対の信頼を寄せていたシスター須藤先生が現地を離れ日本に帰国され、我々Future Codeと現地スタッフのみで行う初めての検診。現地での準備もある程度の部分は自発的に現地スタッフが動かなければ、検診もうまくいきません。
それに私自身が3年間この場所で活動してきたとはいえ、たった3年。私には精神的支柱としてのシスター須藤先生の代わりは今の時点では残念ながら決して務まりません。
前回2013年6月の検診を実現させ帰国する際に、私はどちらかといえば達成感というものはなく、むしろ強い焦りを感じていたことを覚えていますが、上記がその理由です。
開発途上国でのプロジェクトは、不可抗力的な事柄も含めてなんらかのトラブルや、現地側との調整不足などで予定が実現しないというようなことは日本よりもはるかに高率によくある話ではあります。
しかし私にとっては、だからといってこれを簡単に仕方ないとは思えるはずもなく、実は私は今回の検診が実現しないという可能性が脳裏をよぎり、今回はこれまでにないほどに緊張していたのです。
このプロジェクトを待っていた患者さんもいるでしょうし、プロジェクトの責任者としても、頂いたせっかくの気持ちのこもった日本からご支援を現地に生かせないことなど痛恨の極みです。
なんとかその状況でできることをするのみ、とでも割り切って思うことも必要なのでしょうけれど、今回は初日を迎えるにあたり、ある意味恐怖すら覚えたものでした。
しかしながら
一旦検診を開始してみると、私の不安は全く要らぬものであったとわかったのです。
責任者であったシスターエブリンはパスカル医師に信頼を寄せ、そして彼女を中心として準備が成されていました。そしてそれぞれチームの皆が自分の役割を着実にこなしている姿は実に頼もしく、トラブルがあったなら情報を速やかに伝達し、できるだけ早く解決するように連携して行動する。
これができたのは、チームのそれぞれがしっかり想いをもってこのプロジェクトに望んでくれたからに他なりません。
なんと自分の心配は未熟で浅はかであったのか、と思います。シスター須藤先生と現地との絆は私が心配するようなことではなく、今でも変わらずここにあるのです。それがわかっていなかったのは、私だけだったのかもしれません。
病気を心配していた患者さんに、大きな異常はない、と伝え大変よろこんでくれると、スタッフも私たちも笑顔になり、また状態が悪い患者さんが来たならば、このハイチの現実の中、どうすることがベストな対応かを皆で悩みつつも考える。
これを繰り返すうちに、ひとつの医療チームとして、この同じ時の同じ感情を共有していると感じ、ようやくこの一瞬は同じステージに立っていたのではないかと思っています。
検診の最終日、おそらくシスターエブリンの計らいで、シグノ病院のそばにある学校の子どもたちが、歌をプレゼントしてくれました。
その歌の歌詞は
「シスター須藤、ありがとう。日本人、ありがとう。」
その状況を目の前に、ふと「これだ、これはあまりに正しいな」と、そう思いました。
この場所、この時に、この歌を歌ってくれたことがなんとも嬉しく、心に染みました。
私もFuture Codeも他の誰かも、この土地にとって唯一無二の存在であるシスター須藤先生と同じような存在になるようなことはこの先も決してないでしょう。
しかしこの土地で37年間の活動をされたその背中を、この絆を、私たちは日本人として伝え、紡いでいく。
我々はここまでは驚くほど幸運であり、人に恵まれてもおりました。この先も長くプロジェクトを続けていく続けていく中では、恐らくもっとたくさんのどうすることもできないようなトラブルも経験することだとも思います。
しかしハイチはいつも多くを私に教えてくれ、そして私はまたこの場所に戻ることを楽しみにしています。
今回のプロジェクトが終わり、再びこの地から去る今、私は前回ともまた異なる不思議な幸せを感じています。
もちろん検診ができたこと、患者さんが喜んでくれたことなども嬉しかったのですが、なによりも現地の人々とひとつの目標にむかって気持ちを持って共に必死に働けたこと、そしてこの感情をお互いが共有したこと。
この感覚は、私が地震災害時の緊急医療をやっていた時代に感じたもの、それは例え言語が分からない者同士でも、多くの余震や暴動の中でも必死に背中を合わせて目の前の医療現場で闘った者たちの間に起こる「絶対の信頼」に似ており、それは最初に私がこの仕事に惹かれ、抜け出せなくなった理由であったなと、今また自分の原点を確認しています。
これをこれからも続け、そして変わらぬ背中を日本人が見せ続けることで、この道の先はもっと明るくなるのだろう。
歩みを進める中、例えこの先に上れないほどの山があったとしても、きっとただその時に上れないだけだ。険しくても迂回したとしても、その先にいく道は続いている。
そう心で感じたことをここに記し、今回このハイチを後にしたいと思います。
これからも、どうぞFuture Codeの活動をよろしくお願い申し上げます。
NGO Future Code代表 大類 隼人
今回のハイチでの結核検診の結果をご報告させていただきます。
第一回目の検診から9ヶ月が過ぎ、今回第二回目の結核検診は開始されました。
前回の経験からプロジェクトの修正を行い、検診期間を少し短縮した代わりに効率化をはかった今回の検診でも、有症状患者もしくは家族が結核で入院しているなどのハイリスクの患者を中心に157人にレントゲン検査と診察を行いました。
その結果、7人の結核が疑われる患者を発見、さらなる検査もしくは治療に結びつけることができ、(喀痰検査を追加しており、確定診断は後日)また今回、今後のフォローアップ(1ヵ月後再検査)する患者も十数人に上りました。
これも皆さまからのご支援があってこそ実現したことであり、改めまして心より感謝申し上げます。
今回の検診の実現にあたり、なによりも特筆すべきは現地スタッフを中心とした皆の結束力でした。
もちろん検診中にもトラブルは何度かありました。レントゲンの現像機の故障もありました。
しかし皆が迅速に事態に対応し、その結果最後まで検診を続けることができましたわけで、これは私にとってはとんでもなく大きな出来事でした。
というのは、今回は2回目の検診とはいえ、現地のスタッフたちが絶対の信頼を寄せていたシスター須藤先生が現地を離れ日本に帰国され、我々Future Codeと現地スタッフのみで行う初めての検診。現地での準備もある程度の部分は自発的に現地スタッフが動かなければ、検診もうまくいきません。
それに私自身が3年間この場所で活動してきたとはいえ、たった3年。私には精神的支柱としてのシスター須藤先生の代わりは今の時点では残念ながら決して務まりません。
前回2013年6月の検診を実現させ帰国する際に、私はどちらかといえば達成感というものはなく、むしろ強い焦りを感じていたことを覚えていますが、上記がその理由です。
開発途上国でのプロジェクトは、不可抗力的な事柄も含めてなんらかのトラブルや、現地側との調整不足などで予定が実現しないというようなことは日本よりもはるかに高率によくある話ではあります。
しかし私にとっては、だからといってこれを簡単に仕方ないとは思えるはずもなく、実は私は今回の検診が実現しないという可能性が脳裏をよぎり、今回はこれまでにないほどに緊張していたのです。
このプロジェクトを待っていた患者さんもいるでしょうし、プロジェクトの責任者としても、頂いたせっかくの気持ちのこもった日本からご支援を現地に生かせないことなど痛恨の極みです。
なんとかその状況でできることをするのみ、とでも割り切って思うことも必要なのでしょうけれど、今回は初日を迎えるにあたり、ある意味恐怖すら覚えたものでした。
しかしながら
一旦検診を開始してみると、私の不安は全く要らぬものであったとわかったのです。
責任者であったシスターエブリンはパスカル医師に信頼を寄せ、そして彼女を中心として準備が成されていました。そしてそれぞれチームの皆が自分の役割を着実にこなしている姿は実に頼もしく、トラブルがあったなら情報を速やかに伝達し、できるだけ早く解決するように連携して行動する。
これができたのは、チームのそれぞれがしっかり想いをもってこのプロジェクトに望んでくれたからに他なりません。
なんと自分の心配は未熟で浅はかであったのか、と思います。シスター須藤先生と現地との絆は私が心配するようなことではなく、今でも変わらずここにあるのです。それがわかっていなかったのは、私だけだったのかもしれません。
病気を心配していた患者さんに、大きな異常はない、と伝え大変よろこんでくれると、スタッフも私たちも笑顔になり、また状態が悪い患者さんが来たならば、このハイチの現実の中、どうすることがベストな対応かを皆で悩みつつも考える。
これを繰り返すうちに、ひとつの医療チームとして、この同じ時の同じ感情を共有していると感じ、ようやくこの一瞬は同じステージに立っていたのではないかと思っています。
検診の最終日、おそらくシスターエブリンの計らいで、シグノ病院のそばにある学校の子どもたちが、歌をプレゼントしてくれました。
その歌の歌詞は
「シスター須藤、ありがとう。日本人、ありがとう。」
その状況を目の前に、ふと「これだ、これはあまりに正しいな」と、そう思いました。
この場所、この時に、この歌を歌ってくれたことがなんとも嬉しく、心に染みました。
私もFuture Codeも他の誰かも、この土地にとって唯一無二の存在であるシスター須藤先生と同じような存在になるようなことはこの先も決してないでしょう。
しかしこの土地で37年間の活動をされたその背中を、この絆を、私たちは日本人として伝え、紡いでいく。
我々はここまでは驚くほど幸運であり、人に恵まれてもおりました。この先も長くプロジェクトを続けていく続けていく中では、恐らくもっとたくさんのどうすることもできないようなトラブルも経験することだとも思います。
しかしハイチはいつも多くを私に教えてくれ、そして私はまたこの場所に戻ることを楽しみにしています。
今回のプロジェクトが終わり、再びこの地から去る今、私は前回ともまた異なる不思議な幸せを感じています。
もちろん検診ができたこと、患者さんが喜んでくれたことなども嬉しかったのですが、なによりも現地の人々とひとつの目標にむかって気持ちを持って共に必死に働けたこと、そしてこの感情をお互いが共有したこと。
この感覚は、私が地震災害時の緊急医療をやっていた時代に感じたもの、それは例え言語が分からない者同士でも、多くの余震や暴動の中でも必死に背中を合わせて目の前の医療現場で闘った者たちの間に起こる「絶対の信頼」に似ており、それは最初に私がこの仕事に惹かれ、抜け出せなくなった理由であったなと、今また自分の原点を確認しています。
これをこれからも続け、そして変わらぬ背中を日本人が見せ続けることで、この道の先はもっと明るくなるのだろう。
歩みを進める中、例えこの先に上れないほどの山があったとしても、きっとただその時に上れないだけだ。険しくても迂回したとしても、その先にいく道は続いている。
そう心で感じたことをここに記し、今回このハイチを後にしたいと思います。
これからも、どうぞFuture Codeの活動をよろしくお願い申し上げます。
NGO Future Code代表 大類 隼人
この記事へのコメント
有事の際に互いの背中を任せ合える仲間同士の「絶対の信頼」…あたかも少年マンガで2人が複数の敵と対峙する時の陣形が示唆するキーワードのようです。
大類さんの生き様、しかと見届けさせていただきました。
今後も変わらず精進されることを祈念しております。
コメントをありがとうございます。このようなお言葉を大変嬉しく思います。
まだまだ現地ではできないことも多いものの、その中でも現地との信頼関係をしっかりと一歩ずつ築き、歩みは遅くとも、それでこそ未来に見える光もあるように思います。これからも大類をはじめスタッフ一同、前に進んで参りたいと思います。
今後ともどうか暖かなご声援をよろしくお願い申し上げます。